世界遺産
world heritage



■アヌラーダプラ - (1982年)

アヌラダープラは、スリランカ北部の町。
過去スリランカの首都であった。

最初に首都になったのは紀元前380年で、数度、首都が移されたことがあったが、
すぐにアヌラーダプラに戻され、ほぼ1000年間に渡ってスリランカの首都であった。

ゴータマ・シッダッタがその木の根元に座っているときに光明を得たと言われる
ゴータマ・ブッダの菩提樹から、挿し木によって育てられた二代目の菩提樹が、
現在も健康な状態で生きている。この木は記録が残っている世界最古の木であるとされる。
この木は、Sri Maha Bodhi と呼ばれている。
Sriは敬称で、Maha は偉大な(または真の)、
Bodhi (漢語音訳: 菩提)は目覚めたる者の意味で、
Bodhiはゴータマ・ブッダの別名のひとつである。

仏教伝来時の首都であったため、当時の遺跡を多く残している。
アヌラーダプラは、新しい町と古代の町に分けられており、遺跡群は保護されている。
巨大なストゥーパが散在しており、アヌラダープラのストゥーパは
スリランカでは一般的な半球状の構造になっている。石または煉瓦で作られている。

最大のストゥーパは、紀元前1世紀に作られたアヤバギリ・ダゴバ(Abhayagiri Dagoba)で、
現在でも75メートルの高さがあるが、建築当時はその周囲に半球状の屋根を含む構造があり
高さは100メートルあったと言われる。周囲には5000人の僧が生活した僧院があった。

仏教が伝えられたのは紀元前247年の事であり、当時、仏教を伝えた僧は
北東に17キロメートル離れたミヒンタレ(Mihintale)の丘に暮らした。

人工の湖または池が散在し当時の生活レベルの高さを知ることができる。
これらの湖は農業用や生活用の水として使われた。
インドで農業による自然の破壊が進んだ後にスリランカは開発されたためか、
インドでの教訓を受けて自然との調和が考えられている。
アヌラーダプラが首都であった時期の紀元前に指定され、現在にも引き続けられている
大きな自然の保護区が、スリランカ全域に多く存在し、保護区では人間の生活の活動は許されていない。





■キャンディ - (1988年)

キャンディはスリランカ中部州の州都。16世紀後半に栄えたシンハリ朝最後の都である。
人口は約11万人。またスリランカ中部では最大の都市部で、地域経済の中心地でもある。

仏教の聖地として、1988年に、「聖地キャンディ」の名前で、ユネスコ世界遺産に登録された。
仏陀の犬歯があるとされる仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)がある。





■ポロンナルワ - (1982年)

1017年、南インド・タミル系のチョーラ王朝がランカ島の大勢を支配したことを受け、
シンハラ王朝は首都をアヌラーダプラからポロンナルワに遷都した。
シンハラ王のウィジャヤバーフ1世(Vijayabahu I)はその後チョーラ王朝を1070年に追放した。
その後、ウィジャヤバーフ1世の孫にあたるパラークラマ・バーフ1世(Parakrama Bahu I)が
首都構築に大きく貢献した。彼の治世の間、ポロンナルワは王の庇護の元、
交易と農業が栄え黄金時代を迎える。特に、灌漑設備の充実に努め、
国の東部地域で乾季でも農耕可能にした。彼は農耕と防衛の両方の目的で、
首都の周囲にパラークラマ・サムドゥラ(パラークラマ海)と呼ばれる巨大な灌漑用貯水池を建設した。
この時代、首都は自給自足の体制を保った。

しかし、その後王位についたニッサンカ・マーラ1世(Nissanka Malla I)を除く
ポロンナルワの王族はすべて保身に注力し、南インドの王侯貴族の支持を求めたため、
スリランカ独自の王朝の力は衰え、南インドのカリンガ王朝マーガ王による1214年の侵攻を招き、
1284年にはアーリャ・チャカラヴァルティー(Arya Chakrawarthi)の侵攻と続き、
結果的には南インドのパーンディヤ朝に権力を委譲することになった。
1232年に首都はダンバデニヤ(Dambadeniya)に遷都された。
1255年シンハラ王朝はポロンナルワを放棄した。

今日、古都ポロンナルワはスリランカ随一の考古学上の史跡として維持され、
シンハラ王の治世をしのぶものとなっている。
古都の美しさは、デュラン・デュランの1982年のミュージックビデオ「Save a Prayer」で撮影されている。

ポロンナルワは現在、北中部州第二の都市で、スリランカで清潔で美しい町として知られる。
自然に囲まれた環境や古都の建築、パラークラマ・サムドゥラ(パラークラマ海)等が観光客を魅了している。
歴史的にはポロンナルワは一年のほとんどが熱帯性の気候で、
12月と1月のみ肌寒い日がある程度だったが、近年の環境変化で冬季の雨や低温の日が増加している。




■シーギリヤ - (1982年)

建設開始から、打ち捨てられるまで、わずか30年と言う短い命でしかなかったシーギリヤの古代都市が、
現代でも広く世界にその名を知らしめている大きな要因に、「シーギリヤ・レディー」の存在があげられます。
父王を殺害したカッサパ1世が、シンハラ朝第65代の王位に就いたのは紀元477年の事でした。
そのカッサパ1世が父王供養のため建設した町がシーギリヤです。
父王殺害の罪を償うべく寺院や病院を建て善政に励んだカッサパ1世でしたが、
紀元495年、弟モッガッラーナの反撃に敗れ自害する、という悲劇的な運命を辿ります。
シーギリヤにはカッサパ1世の人生が凝縮されているのかもしれません。
世界遺産としての登録範囲はスリランカ中部、シーギリヤの約40万平方メートルですが、
その中心は南北約180m、東西約100m、高さ約200mの岩山です。
『獅子の山』とも呼ばれるこの岩山の山頂には階段状に庭園が配され、貯水池と宮殿が造られました。
岩山の北側には、高さ約10mの獅子を象った城門も築かれましたが、現在はレンガ製の足先が残るのみです。
そして、西側中腹の窪みに優雅に描かれた天女像が「シーギリヤ・レディー」です。
スリランカ美術の白眉である「シーギリヤ・レディー」は5世紀後半の壁画で、
数々の装身具で身を飾り、雲間から上半身を覗かせる天女の像です。
当初は500体近くが描かれていたそうですが、現在でも22体が残っています。
「シーギリヤ・ビューティー」とも呼ばれる天女たちの魅力にひきつけられて、この地を訪れる人は後を絶ちません。





■ゴール旧市街とその要塞群 - (1988年)

ゴール(Galle)は、スリランカの南西の先端である都市で、南部州の州都である。
世界自然遺産のシンハラジャ森林保護区にほど近く、自然に囲まれた街である。
人口は90.934人(2001年)で、スリランカの主要都市となっている。
日本語では、ガル、ギャルとも表記される場合がある。

2004年に起きたスマトラ島沖地震の津波で被害を受けた。




■ダンブッラの黄金寺院 - (1991年)




■シンハラジャ森林保護区 - (1988年)



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