スリランカ歴史
history



紀元前5世紀
■スリランカ建国の起源
■現在のスリランカ人は、当時、北インドから移住してきた人々
■現在も国内に居住している原住民をウェッダーという。
紀元前660年
■伝承上の神武天皇即位年縄文時代
紀元前243年
■インド・アショーカ王の息子、マヒンダが仏教をスリランカへ伝える。
■仏教と共に、今日のスリランカ公用語シンハラ語の起源
ブラーフミー文字が伝えられる。

■弥生文化

■初期の王朝(アヌラーダプラ文明)は1017年まで栄える。
■当時の遺跡、ジェータワナー・ラーマヤ塔は、
高さ約121.2m(エジプト・ギザの最大ピラミッドと同じ高さ。)
■巨大な貯水池と運河が次々と建設され、中・小10,000以上の貯水池、
100以上の大きな貯水のほとんどが人口運河と共に、現存。

■アヌラーダプラ王朝時代にわずか18年間、
首都として機能したシーギリヤ。カッサパ(カーシャパ)王が
巨大な岩の上の高さ195mの宮殿を建設。
■王子だったカッサパが父親を殺し王位に就いたため、
弟の反乱を恐れたためだといわれている。
異母弟はカッサパ王に戦いを挑み、
カッサパ王の軍勢は総崩れとなり、カッサパ王は自害。
■新たに王となった弟は都を再びアヌーダーラプラに戻す。
■シーギリアロックの壁面に描かれたフレスコ画の
シーギリア・レディは、カッサパ王が父を弔うために
描かせたと言われている。


1017年
■南インドの王国からの度重なる侵略と内紛によって、
アヌーダーラプラ王朝は徐々に衰退、首都がポロンナルワに移転され、
1215年までのポロンナルワ時代に。 
当時、ジャフナ地方で、タミル人の国が建てられてる。
■ポロンナルワの王達は、南インドの王女と結婚することで
戦略的な同盟を築く。
■ポロンナルワの芸術と建築は、南インドの芸術と建築に
多大なる影響を及ぼしたといわれている。
■首都は6世紀の間に、ダンバデニヤ、ヤーパフワ、
コーッテ、キャンディと4度移転。

1505年
■ポルトガル人が、王朝の内紛、弱体化に乗じ、16世紀、
東部以外の湾岸平地の大部分を支配下に置く。
■ポルトガル文化の影響は歌や食べ物などの形で島に残る。 
■オランダ建築は、スリランカ建築に多大に影響を及ぼし、
その時代のオランダ建築は大切に保存されている。
ゴールの砦もその一つ。

1658年
■オランダが東インド会社の商業活動拡大のために
ポルトガルを追い出し、島の新たな支配者となる。
その後、イギリスが、オランダから海岸地域を譲渡される。
最後の王国キャンディーは、1815年イギリスにより滅亡。
■イギリスは最初に丘陵部に、
プランテーション作物としてコーヒーを導入。
(ブラジルのコーヒーはスリランカから持ち込まれた)
■南インドから多くのタミル人が労働者として連れてこられたが、
1868年、コーヒーが疫病で全滅、その後、紅茶に代わる。

1931年
■参政権が導入され、強力な民主主義の基盤が固められた。
1931年
昭和6年
■9・18満州事変
■12・13金輸出再禁止
1948年

■イギリスから独立(英連邦内の自治国「セイロン」として)。
1947年
昭和24年
■5・3日本国憲法施行
1956年
■スリランカ自由党(Sri Lanka Freedom Party / SLFP)が政権を握る。
■首相はバンダーラナーヤカ氏。
ナショナリズムの高揚のため、シンハラ語を公用語に。
■英語を主言語とするエリート層やタミル語を使う少数派の
タミル人からの反発をまねく。
1972年
■スリランカ民主社会主義共和国となる。
■独立後、福祉を中心に独自の発展を遂げ、現在、
UNDP(国連開発計画)やUNICEF(国連児童基金)評価では、
スリランカはHDI (人類開発指標)が
発展途上国中一番とされる。
■仏教を準国教にしたため、タミル人がスリランカ北部東部の
分離独立を要求。
この活動団体がLTTE(タミル・イーラム・解放のトラ)である。

1972年
昭和47年
■5・15沖縄が本土復帰
■9・25日中国交正常化合意
1978年
■大統領制に移行。初代大統領にJ.R.ジャヤワルダナ。
■国の民主化、市場開放を進めた。
1983年
■シンハラ人のタミール排斥運動が高まり、
それに対抗する形でタミル人の分離独立運動が活発に。
■ジャフナでタミル人によりシンハラ警官が殺害される
という事件が起こり、タミル排斥運動に火をつけ、
タミル人の商店や民家が襲われる。
1987年
■インドがスリランカ政府と協議の末、軍事介入に出たが、
成果が上がらず撤退。
1989年
■シンハラ過激派(JVP)が各地でテロ活動を展開。
1989年
平成元年
■1・7昭和天皇崩御、今上天皇即位
1991年
■介入がきっかけでインド首相ラジブ・ガンジーは
LTTEの一員に暗殺される。
1994年
■SLFPが政権獲得。
大統領にチャンドリカ・バンダーラナーヤカ・クマーラトゥンガ
(バンタラナーヤカ家の娘)が就任。
1995年
■政府軍は、インド軍撤退後LTTE支配下となっていた
ジャフナ半島の奪回に成功。
■しかし、LTTEはその後もゲリラ戦を続け、
首都コロンボでも再三爆弾テロを敢行。
■クマーラトゥンガ大統領はタミル人の多い北部・東部の州に
一定の自治権を付与する「地方分権法」を提案したが、
野党や仏教団体の反対で可決されず。



2000年
■総選挙で人民連合(PA)(旧SLFP)が
スリランカ・ムスリム会議(SLMC)と
イーラム人民民主党(EPDP)(タミル系)を抱き込み過半数
(225議席中116議席)を獲得、引き続き政権を担当。
2001年12月
■大統領による議会の解散、総選挙で統一国民党(UNP)が
PAを抑え内閣を組閣。
与野党が交代。
■ラニル・ウィクラマシンハ氏が新首相に就任。
2002年2月
■政府、LTTE間で停戦が合意される。
2004年4月
■総選挙、全議席225中105議席をUPFAが抑え第1党となり、
与党UNPは82議席。 
■ハンバントータ出身のマヒンダ・ラージャパクシャが首相となる。
2004年
12月26日
■インド洋大津波によりスリランカ海岸地域が被災。
死者は3万人を超える。
2005年11月
■対LTTE強硬派のラージャパクシャ大統領が就任。
2006年
■軍事衝突が頻発。
2007年7月
■東部LTTE拠点を政府軍が制圧。
2007年
12月8日
■大統領夫妻が来日。
2008年
1月2日
■LTTEと2002年2月月に結んだ停戦合意を破棄。
■70年代からタミル人の多い北・東部を中心に
分離独立運動が高まった。
83年ごろからLTTEとの内戦に発展。
これまでに計約7万人が死亡した。
2008年
1月13日
■明石康・政府代表(スリランカ問題担当)が、15回目の訪問。
改めて対話による解決を求める。
2009年
5月19日
■反政府武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の
最高指導者プラバカラン議長(54)が北部ムライティブで死亡。
■スリランカ国防省は、「全土をテロリストの手から解放した」と
LTTEの完全制圧を宣言。
25年以上に及んだ内戦は政府軍の勝利で決着した。
2010年
1月27日
大統領選挙で現職のラジャパクサ大統領が勝利。
2010年
2月8日
マヒンダ・ラージャパクサ大統領に敗れたサラット・フォンセカ前国防参謀長を逮捕。
大統領はフォンセカ氏が武力による政権転覆をもくろんでいると非難、
フォンセカ氏に近いと目される陸軍幹部や野党系新聞編集長をも次々に逮捕。



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