スリランカ概要
about sri lanka



インド洋に浮かぶ島国スリランカは、
赤道と北回帰線に挟まれた熱帯に位置します。
総面積は約66000平方キロメートルで北海道を
ひと回り小さくしたほどです。

スリランカとは「光り輝く島」という意味で、
島は変化に富んだ地形をしており、
べージュ色のビーチが100km以上も続く海岸や、
背の低い木々が茂るジャングル、
さらには1000mを超す山々と、小さな国とは思えないほど、
様々な面をもっています。
特にジャングル地帯には、多くの野生動物たちが生き続けています。

スリランカを世界に知らしめているものにもうひとつ、宝石があります。
その歴史は古く、紀元前10世紀、ソロモン王が
シバの女王のハートを射止めるのに
使ったルビーがスリランカのものだったとそうです。
また、スリランカを占領支配してきた諸外国が憧れていたのも
この宝石の豊かさでした。
永遠の光を放ち、邪悪なものを寄せ付けないといわれる宝石。
山の中の小さな町ラトゥナプラでは、素朴な方法で採掘しています。



宗教:仏教徒69,3%、ヒンドゥー教徒15,5%、キリスト教徒7,6%、
イスラム教徒7,5%、その他

人種:シンハラ74%、スリランカ系タミル12,6%、ムスリム7,1%、
インド系タミル5,5%、その他



公用語はシンハラ語とタミル語。コロンボでは、ビジネス英語が盛んです。



大部分は低い平地や起伏のある平地。南部の中央の内陸には山がある。



全面積: 65,610平方km  
陸地の面積: 64,740平方 km



年間平均気温は、約28度、
5〜9月は、南西部が雨季。
11〜3月は、北東部が雨季。
スリランカの9割が水力発電のため、降水量が少ないときなどは、
頻繁に停電に。
少しずつ、環境破壊(産業公害や、森林伐採)も進んでします。



輸出
商品:衣料および織物、宝石、石油製品
相手国:アメリカ34%、イギリス9.5%、日本6.2%、ドイツ5.8%、
ベルギーおよびルクセンブルグ5.3%



輸入
商品:織物および布地 、機械および機器、輸送機器、石油、ビルの建築材
相手国:日本9.1%、インド10.4%、香港6.5%、韓国6.5%、台湾5.3%



イギリス植民地時代に導入されたプランテーションが有名。
紅茶・ゴム・プランテーションなど様々。
主食は、米。二期作。野菜・果物も豊富。
環境のよさから、観光産業には、適していますが、
内戦がそれを、妨げています。



イギリス式の教育制度で、12の国公立大学があり、授業料は無料。
大学進学率は、数%とも。



国公立病院の医療費は、原則無料だが、待ち時間が長いので、
アポロ・ナワロカ・アシリなどの民間病院がお勧めです。
スリランカ人は、心臓疾患や糖尿病が多い。



中近東(サウジアラビアやドバイ)などに出稼ぎに行く人が、年々増えている。
母親が、オマーンで出稼ぎで家政婦をしている、
父親が、ドバイの建設作業員で働いているといった子供たちが多く、
親戚に預けられながら、仕送りで生活している。



第二次世界大戦中、日本軍はコロンボのアンゴダとトリンコマリーを空爆し、
アンゴダの精神病院の建物やトリンコマリーの石油設備が被害を受ける。
1951年9月に開催されたサンフランシスコ対日講和会議において、
スリランカ代表の当時大蔵大臣、J.R. ジャヤワルダナ氏(後に大統領に就任)が
参加していた国々に対し、日本への敵意を棄て賠償を求めずに
日本を国際礼儀に沿って受け入れるべきだ、と主張。
また、日本分割統治案にも反対。
仏教の経典を引用し
「憎悪は憎悪によって止むことなく、慈愛によって止む」と発言。
アジアの中で独自性があり、ヨーロッパ列強に対抗できる実力を持った日本を
同じアジアの同朋として誇りに思うと発言。
スリランカ国民の親日さは仏教の教えだけでなく同氏の尽力の結果も大きい。

1954年10月6日、日本は「コロンボ・プラン」に加盟、
被援助国から援助国への仲間入りを果たす。
これを記念し日本では10月6日を「国際協力の日」と定める。
※サンフランシスコ講和会議では、米英を中心とした自由主義陣営の大国は
対日賠償請求を行うつもりは初めから無かったと言われるが、
ジャヤワルダナ氏の発言が米英以外の国に再考を
促すきっかけになったといえる。



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