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スリランカ概要
■インド洋に浮かぶ島国スリランカ。赤道と北回帰線に挟まれた熱帯に位置する。地域差こそあれ、緑豊かな環境に包まれている美しい島。総面積は6万5690平方キロメートルで北海道をひと回り小さくしたほど。
北に向かって先細りしたその形は、ちょうどセイロンと呼ばれていたが、1972年新憲法の公布を機に現在のスリランカに改名された。
スリランカとは「光り輝く島」という意味。人々は誇りをもってこの国名を口にする。しかし、セイロンという言葉は今でもあちこちに生きていて、世界的に有名な紅茶のブランドとしてもお馴染みだ。島は変化に富んだ地形をしており、べージュ色のビーチが100km以上も続く海岸、背の低い木々が茂るジャングル、さらには1000mを超す山々と、小さな国とは思えないほどの多様さだ。それらのほとんどが無垢な自然を残しており、特にジャングル地帯には、多くの野生動物たちが生き続けている。
ここに暮らす人々の多くが仏教徒。古代から仏教王国として栄えてきた。現在も残るその大遺跡はユネスコの手によって修復整備が続けられており、世界の注目を集めている。
■歴代の王達が残したものは遺跡だけではない。島のドライ・ゾーンと呼ばれている乾いた大地に点在する巨大な貯水池。王達が建設したその偉大な遺産は、農業国であるスリランカに住む人々の生活を大切に守り続けてきた。今は自然の中にしっかりとけこみ、鳥も、獣もそこを生活の場としている。
■スリランカを世界に知らしめているものにもうひとつ、宝石がある。その歴史は古く、紀元前10世紀、ソロモン王がシバの女王のハートを射止めるのに使ったルビーがスリランカのものだったという。また、スリランカを支配してきた諸外国が憧れていたのもこの宝石の豊かさだ。永遠の光を放ち、邪悪なものを寄せ付けないといわれる宝石。宝石の代表的な山地の山の中の小さな町ラトゥナプラでは、今日も男たちが素朴な方法で夢を掘り続けている。
■恵まれた環境と、そして、そこに暮らす人々の心の豊かさ。何もかもが新鮮な驚きに溢れている。我々の旅するロマンを十分満たしてくれるだろう。

■スリランカ人
宗教:仏教徒69,3%、ヒンドゥー教徒15,5%、キリスト教徒7,6%、イスラム教徒7,5%、その他
人種:シンハラ74%、スリランカ系タミル12,6%、ムスリム7,1%、インド系タミル5,5%、その他

■公用語
公用語はシンハラ語ですが、北東部では、タミル語。コロンボでは、ビジネス英語が盛んです。

■地形
大部分は低い平地や起伏のある平地。南部の中央の内陸には山がある。

■面積
全面積: 65,610平方km
陸地の面積:
64,740平方 km

■気候
熱帯性モンスーン気候。北東モンスーン(12月〜3月)。南西モンスーン(6月〜10月)
4,5,6月と9,10,11月に雨が多い。

■輸出
商品:衣料および織物、茶、ダイアモンド、他の宝石、石油製品
相手国:アメリカ34%、イギリス9.5%、日本6.2%、ドイツ5.8%、ベルギーおよびルクセンブルグ5.3%

■輸入
商品:織物および布地
、機械および機器、輸送機器、石油、ビルの建築材
相手国:日本9.1%、インド10.4%、香港6.5%、韓国6.5%、台湾5.3%

■大戦後のスリランカと日本の関わり
第二次世界大戦中、日本軍はコロンボのアンゴダとトリンコマリーを空爆し、
アンゴダの精神病院の建物やトリンコマリーの石油設備が被害を受ける。 1951年9月に開催されたサンフランシスコ対日講和会議において、スリランカ代表の当時大蔵大臣、J.R.
ジャヤワルダナ氏(後に大統領に就任)が参加していた国々に対し、日本への敵意を棄て賠償を求めずに日本を国際礼儀に沿って受け入れるべきだ、と主張。また、日本分割統治案にも反対。仏教の経典を引用し「憎悪は憎悪によって止むことなく、慈愛によって止む」と発言。
アジアの中で独自性があり、ヨーロッパ列強に対抗できる実力を持った日本を同じアジアの同朋として誇りに思うと発言。スリランカ国民の親日さは仏教の教えだけでなく同氏の尽力の結果も大きい。
1954年10月6日、日本は「コロンボ・プラン」に加盟、被援助国から援助国への仲間入りを果たす。これを記念し日本では10月6日を「国際協力の日」と定める。
※サンフランシスコ講和会議では、米英を中心とした自由主義陣営の大国は
対日賠償請求を行うつもりは初めから無かったと言われるが、ジャヤワルダナ氏の発言が米英以外の国に再考を促すきっかけになったといえる。
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